2月 おつたえしたいこと                館長 雨貝 行麿


 

雪が少ないとはいえ、冷え込みます。またインフルエンザのバイ菌がはびこっています。手洗い、
うがいをひんぱんにされ、また体力をつけてください。

さて今回は当センターを会場に「全国キリスト教施設長会議」が開かれました。日本各地のキリ
スト教社会教育の管理責任者の会です。日本では「教育」といいますと学校でした。しかし民主主
義を育て、再び戦争をしない、関わらないためには「成人・社会人・市民」になってから「教育」
が大切だと考えようとしました。「教会」にはそういう性格があります。
YM(W)CAがそうです。
戦前からキリスト教は御殿場「東山荘」、新宿「早稲田奉仕園」、戦後は成人教育のために多くの
施設ができました。当センターもその一つです。その会合です。日本では「敬虔なクリスチャン」
と評判をとった方たちの後継者たちの会合ですから、讃美歌とお祈り?しかし、今日では「自由闊
達、幻を語り、ロマンを求めて」語り明かす、野に叫ぶ預言者たちの集いです。しかも実務に明る
いのです。将来にむけて切り開くべき事態を見据え、困難ですが爽やかなのです。日本のクリスチ
ャンたちの資力から比較すると(失礼!、?)いささか大きな施設、財産を切り盛りしています。
経済は失速につぐ失速の現況と将来ですが集った施設長たちは、借財はそのうち必ず返す、利息の
少ない形に変える。現況に心を塞いでいないのです。財は「天下の回りもの」を都合よく回す。
また「近ごろの若者たちは」という愚痴はありません。それよりこの青年たちに「どうやって人と
しての生きるモチヴェーションを促すか」をことばと体で伝えるほうが先に出るのです。この会議
に、何か大きな幻、ヴィジョンをもっていますね、

信仰をこの世(社会)で表現しようとするので苦心が要る。その苦心が、メシよりもすき!苦渋
を語りながら、いつの間にか自分で新たな出口を見つけている。この明るさはどこに由来するので
しょうか。

 それは明らかです、自分の利益や満足を求めていない。特に若い人のための活動だからです。

 会合の合間にセンター向いの、北海道大学のキャンパス、新装なったバプテスト教会、機動力で
はひけをとらない当センター主事板谷良彦氏は、すこし(いえ!だいぶ)遠い旭川まで足を延ばし
て三浦綾子文学記念館(館長の光世氏にも会いました)、いうまでもなく旭山動物園を案内します
と、寒いのに、このような施設がすきなんですね、参加者の方のなかには、そこまで来て、じっと
考え事をしてたりするのです。どこにいってもちょっと個性的な人々です。「敬虔な」であるより
も「自由闊達、幻を語る、個性的」な人々に交わった
23日でした。

「神に仕える者として、ひとをあざむいているようで誠実、知られていないようで知られている、
悲しんでいるようで常に喜び、物乞いのようで多くの人を富ませ、無一物のようですべてを持って
いる」(コリントU、6;
1以下)その方たちが各地におられるということはまだまだ、日本大丈
夫だ、と感じた新年でした。

 まもなく札幌は「雪まつり」です。「ゆきずまり」ではありません。お泊りはセンターへお越し
ください。ほっとして、ぐっすりやすめます。