1月                   雨貝 行麿(館長)


2010年1月  さっぽろ雪まつり(雪の建造物・聖母教会のこと)

1月1日に、日本基督教団北海教区札幌地区の18の教会・伝道所に集っている人々が
札幌北光教会の礼拝堂に一堂集い、新年礼拝をささげました。子どもたち共々平和へ
の祈りをささげ新年の誓いと交歓をいたしました。生涯の交わりを与えられた恵みを
感謝しました。

 さて雪景色の街、札幌の大通公園にはそろそろ、「さっぽろ雪まつり」の準備がは
じめられています。今回の雪と氷による建造物のひとつがドイツ、ドレスデンの街に
ある「フラウエンキルヘ」(「キルヘ」は「教会堂」、「フラウエン」は「マリアさ
ま」のこと、そこで『聖母教会』と呼びます。この街は宗教改革期まではカトリック
でしたが、その後は、ドイツでは「福音主義」と呼びますが、いわゆるプロテスタン
トの中心の一つとなりました)をかたちどって建ち上げることになります。この街と
この教会堂のことをお話しします。

 ドレスデンは東にポーランド、南にチェコに通ずる街道の中心地、エルベ河に発達
した、かってはザクセン公国の王宮があり、その街の美しさは「エルベの真珠」と呼
ばれました。第2次大戦末期、敗走するドイツ軍を追撃するソ連軍に追い立てられ、
多くの避難民を含んだドレスデンは騒然としていました。10万を超える人々が不安に
おびえていました。しかしこの街には軍事施設はありませんので、爆撃による無差別
殺戮・破壊はないだろうと思われていました。しかし覆りました。45年2月13日深夜、
爆撃機の轟音がこの街を覆いました。数回にわたる絨毯爆撃(絨毯を織るようにして
編隊を組んだ爆撃機群が通過して爆弾を雨のように投下する)がこの街と人々を襲い
ました。

 街が燃え、人々がいのちを喪い、傷つきました。この聖母教会は「石の釣鐘」と言
われた堅牢なドームをもつ建物でしたが、内部に火が入り、2日後熱のためにその丸
天井から崩壊しました。

 戦後この地は社会主義統一党の政権下となり、オペラ座やその他の建物は再建・復
興しましたが、聖母教会の再建は阻止され、瓦礫のままにされていました。

1982年2月13日ドレスデン空襲でいのちを喪った人々の追悼の祈りの輪ができました。
この祈りの輪はやがて心と心を繋ぐ力を生み、自由を心のうちに確かめるよすがとなり、
市民の希望を育てました。近くのライプツィヒでのニコライ教会の「平和の祈り」と
あいまって1991年ドイツは再統一への力となりました。まもなく聖母教会の再建が決
定して募金が開始されました。倒壊のまま散乱していた石が整理され、再建の資材と
して用いられました。3000個を超える石は何処に積まれていたか、探りながらの再建
は、世紀のパズルとまで言われました。その再建のための支援者たちは23カ国にわり
ました。

やがて石の釣鐘の屋根に置かれていた十字架が瓦礫の中から掘り出されると、この街
を爆撃したイギリスの飛行機搭乗員の子息が、同じ型に新たに十字架(7.6m)を
作成して献げました。聖堂のピナクル(尖塔)の一部がポーランドの人々によって献げ
られました。ヨーロッパを戦禍に巻き込んだ破滅的事件の後、人々は改めて平和を希求
しました。そのためには「和解」がなによりも必要だったのです。

2005年10月30日宗教改革記念日を前にして献堂式が行われました。聖母教会は、いま、
戦禍とその後を生きる人々に「自由」「和解」「平和」の大切さを語る証人なのです。