3月    旅立ちの季節ですね。        雨貝 行麿 (館長)

わたしが中学2年の3学期が終わりになる頃、隣のクラスにいる仲の良い友達
「金子君」が、改まってわたしの机の前に立ちました。何だろうと顔をあげます
と、かれは、すこしぎこちない様子で、「新学期には朝鮮の人たちの学校へ転校
するんだ、だからこれでサヨナラだ。」とぶっきらぼうに、言いました。「へぇ
ー、どうして?」。「おれ、そこへ行く事になったんだ」と言いました。「きみ、
朝鮮のひとなの」「うん、そうだ」そう言って、これから「キム」という名前に
なる、と言って、「朝鮮語」でわたしのノートの上に書いてくれました。「じゃ、
僕の名前も朝鮮語で書いてよ。」「うん」そう言ってかれは書いてくれました。
わたしの「ハングル」との初めての出会いでした。中学生の時の友達は、そうい
って別れました。寂しい思いがのこりました。

神学大学に入学しました。すると寄宿舎に韓国からの留学生が数人おられまし
た。みな年配で穏やかな方々で、たたずまいもきちんとされていました。食堂で
テーブルをともにするとよく韓国に来てくださいと誘います。日本語です。そこ
で韓国語を片言教わりました。「チョンガ」というのは韓国語ですよ、と言うの
です。「韓国」がわたしに近づいてきました。実は当時韓国は軍事独裁政権の時
代でした。日本の、ある知識人が訪韓しようとして入国を断られたとも聞きまし
た。わたしの学生時代前期のことを考えて、わたしはどうかな、などと考えたも
のでした。その後、韓国のキリスト教徒と触れ合うことが重なりました。みな、
相互の交流を求めている事を感じました。

わたしは日本キリスト教教育学会の理事をしています。日本の他の学会は存じ
ませんが、当学会は韓国のキリスト教教育学会との交歓・交流をはじめています。
この交流は韓国のイニシアチヴで始められました。昨年その韓国キリスト教教育
学会の会長を日本での学会大会にお招きいたしました。かれはわたしを見て、自
分の父親とそっくりでおどろいたと言って親しみを表わしていました。「韓国語」
は、語彙は違いますが、語順は中国語より日本語のほうにはるかに近いことを言
われます。たしかに個々の語彙はちがいますが、短いセンテンスを並べますと、
語順は日本語に近いのです。

キリスト教は韓国で信頼が高いことにも気付かされました。キリスト教教育も
盛んで、キリスト教諸大学には、キリスト教教育の学部・学科が設置されていて、
キリスト教教育に携わる方々が育てられ、交流し、従って、韓国キリスト教教育
学会は学会活動も日本よりも活発で、年に数回実施され(日本では1回)、議論
も活発で、研究叢書も多く、定期的に発刊されています(日本にはありません)。
研究主題は韓国の固有の状況を反映するものでありますが、日本のテーマと通底
しています。ただ海外との関わる研究傾向はドイツよりアメリカの動向に目をむ
けています。学会財政ははるかに大きい事を知りました。

しかしまだ、わたしどもが韓国語を理解しません。韓国の方々は日本語を知り
ません。互いにほんとうの意味で(深い)交流するという段階の準備はできてい
ません。そのことに思いを致すと、今後は、まだ霞の中のようです。

今年日本による韓国併合100年ということですが、あらたな視野を探りたい
ものです。