6月

 6月は、重い。
沖縄の海は美しい。サンゴ礁の浅瀬が広がり、色とりどりの魚たちが泳いでいます。
沖縄の人々の苦悩は深い。笑顔で人を迎えますがその奥は深い。
先月、そこで雨の中、基地返還を主張して、「人間の鎖」がなされたことを知りました。杮
然とふる雨のなか、カッパを身に付けた人々が両手をつないで連なっていました。テレヴ
ィの映像の中に映し出されるひとりひとりの姿に注目しました。知っている人が映ってい
ないか。歳をとった人、子どもたちがいる。「NO基地」ただ静かに手を連ねていました。
この地は、1945年の初夏、熾烈な戦場になり、兵士ではない多くの人々が硝煙のなかを
にげまどい、その命を失いました。いま、沖縄を訪れると、その戦乱のなかに巻き込まれ
た人々のありさまをつぶさに語る資料が展示され、少年、少女たちの最後の瞬間を記録した
状況をその顔写真とともに掲示されています。当時の人々が、当時の言葉で語りかけてい
ます。わたしは、しかし最近になってその人々の顔と言葉にであって、言葉を失いました。
 1952年のサンフランシスコ講和条約が発効しますと「本土」では「日本の独立」を祝い
ました。しかしその日から沖縄はアメリカの統治下に置かれ、基地返還を求める闘争がは
じめられました。1960年には「本土」では「安保改定反対」の闘争が挫折し、運動が分裂
し「沖縄基地返還」とは連携しませんでした。「安保」は自動延長して「本土」は経済的な
繁栄をうみだし、沖縄ではアメリカによる統治に反対して、派遣された施政官の就任式に
おいて、「これが最後の施政官でありますように」と牧師は祈りをささげました。
 ようやく1972年アメリカから施政権が返還されますと領土が平和裡に返還されたことを
記念したかのように首相がノーベル平和賞を受賞し、ほぼ同時にアメリカ軍の基地をめぐ
る情勢のなかで「核に関して」いわゆる非核三原則が主張されましたが「外務省密約」の
ことが新聞報道されました。最近になって、その重大な三原則をくつがえさねかねない「密
約に相当する部分」があるとのことでした。おだやかな気持ちにはなりにくいのですね。
 戦後の日本の歴史の歩みをみてきますと、「沖縄」での出来事を「本土」は、ことさら見
ないようにしてきたのではないでしょうか。
 プロテスタントの伝道者たちが「日本伝道のために到来した」ときから、数えて150年
といいますが、この歴史も、その年を遡ること数年前、沖縄で伝道をしていた伝道者がい
ましたが、その働きは「プレ・ヒストリー」だと位置付けられました。「プレ」とは何か。
当センターでは、毎朝礼拝をしていますが、6月に読む聖書の箇所はイザヤ書です。紀元
前8世紀の預言者のことばです。そこには「主は多くの民を戒める。すると彼らは剣を打
ちなおして鋤とし、槍を打ちなおして鎌とする。もはや戦いを学ばない。人々よ、主の光
の中を歩もう」と語りました。それなのに今日もまだ、「孤児の権利が守られず、やもめの
訴えに耳を傾けない。人間が卑しめられている」という言葉が鋭く迫ってまいります。
沖縄に子どもがいる。人間がいる。その子どもたち、人間たちが脅かされながら、沖縄
に絶対的な「抑止力」という力がないと「本土」の人々は平和にくらせないのでしょうか。
 「人間の鎖」に北海道から参加した友人たちは、まだなにも語りません。
 まだまだ重い思いを感じる季節です。

                      雨貝 行麿