7月 館長から

「韓国平和ツアー」からの報告 その1

北海道クリスチャンセンター運営にあたって、その目標の大切な一つは、「平和を創る者
は、神の子だ」というメッセージを発信することです。
 日本が韓国(大韓民国)を1910年に併合して以来の歴史を学ぶべく『日韓100年の年、
韓国平和ツアー』を企画して7月6日(火)から10日(土)まで4泊5日の旅をしてきました。参
加者12名、84歳から30歳、年齢が違うこともまた旅の楽しみであることを知らされましたが、
旅程は、札幌から釜山へ飛び、釜山からはバスと新幹線でソウルに行きました。
 旅のための予習として、6月26日(月)の『キリスト教講座』(3)で、韓国からの宣教師であ
る朴美愛(パクミエ)牧師(現在酪農学園大学で教鞭をとっておられます)が「未来志向―新
しい一歩」として、日韓の歴史に関して講演に参加し、オリエンテーションをいただきました
が、やはり韓国は距離は近くても、未知の国でした。
 日韓の間には、この100年のみならず多くの歴史が折り重なるようになっています。日本
が、アジアにおいてはいち早く統一国家をつくりましたが、その後の歴史では近隣の民族
にとりましては「禍」をもたらすことにもなっていたということです。今回は近現代の、いわゆ
る「韓国併合」後まもなく起こったキリスト教に関わる事件の、今日を学ぶことにしました。
 その初めが、釜山にある「釜山近代歴史館」です。この建物は1929年(昭和4年)「日本帝
国主義の植民地収奪機関の東洋拓殖株式会社の釜山支店として、開放後の1949年7月か
らは米国海外広報処の米国文化院使われました。このように外国勢力侵入のシンボルだ
った」(館のパンフから)。いま「韓国民族のもとに戻ってきたこの建物を、激動の近現代史
について理解し教育するスペースとして活用するため」2003年7月開館した、とのことでした。
近現代史の展示は韓国語、英語が基本で、日本語の解説もありました。また学習コーナ
ーがあり、暫時資料が整えられつつあります。今日、当然のことながらほとんど「ハングル」
文字の文献・資料です。展示には、釜山の港湾施設、貿易、それに伴う道路、橋梁、交通
網の整備が急速に進みましたが、すべては日本の植民地経営による「侵略と収奪」のため
であるとしています。反論を予想した記述です。
 かつて明治政府は、当初北海道開拓に着手し、財政的にこれを担うことは困難であっても
これを続けようとしていましたが、日清戦争、さらに日露戦争によって東アジアにおける支配
力を身につけます。すると北海道を開拓するよりも「朝鮮半島」(韓国では「韓半島」といいま
す)を経営して、より効率がよい経済活動に向かいました。以来北海道、東北(ちなみに大韓
民国と北朝鮮人民共和国の休戦ラインがある、ほぼ北緯38度が、仙台にあたります)の経済
的自立が促進されなくなりました。
  植民地からの「収奪」の成果があるため、北海道、東北の経済は窮乏します。東北地方の
凶作は、低価格の「朝鮮米」の流入とかかわっていたのです。
 日本による韓国の植民地化はそのような経済的な「収奪」にとどまらず、韓国語の使用禁
止、創氏改名、さらには国家神道の強制をしました。まさしく「民族の抹消」を企てたことにな
りました。民族の連携ではなく離反と激しい抵抗を生み、それが9年後の3・1独立行動とな
ります。(来月につづきます) 

                                  雨貝 行麿