8月 館長から

「韓国平和ツアー」からの報告 その2

暑い日がつづきます。いかがお過ごしですか。さて今月は、7月のメッセージにつづきまして
『韓国平和ツアー』その2としてお届けいたします。わたしどもは、韓国独立運動に献身した
「柳寛順」(ユ・グァンスン)の生家とその教会を訪ねました。田園風景のひろがる、おだやかな
農村でした。小高い丘を背にして南向きに点々と農家が点在しています。ここに設立されたば
かりの、かやぶきの小さな教会堂の隣に柳寛順は生まれ、やがて宣教師の薦めでソウル梨花
(イファ)学堂(ミッションスクール)に学びに行きました。まもなく韓国前皇帝高宗の葬儀が予定
され、その機会に韓国の人々は、民族自立の運動を全国的に広げようとしました。日本の植民
地になって9年、1919年3月1日ソウルで、その独立宣言がなされました。これが三・一運動です。
この運動の拡大を阻止しようとして日本は中等学校以上を臨時休校としたため、彼女は宣言書
をもって故郷にもどり、そこでソウルの現況を報告、地域の人々に決起を促したのです。
 わたしどもは、この時のようすを、現在改築された教会堂で、そこの牧師からお聞きしました。
牧師は静かな面持ちで当時の人々の活動を話されました。半島北部におけるような苛烈な経済
・社会的状況にまでは至っていない、ソウルから遠く離れた田舎の人々が「民族独立」のために
活動し始めたということに、20世紀の日本による植民地支配が、南部の小さな村落においてさえ
もすでに「民族独立」の意識は明瞭な形をとるに至ったのです。身を切られるような事態になって
いたことが証しされます。その活動では、キリスト教信仰がその中核をつくっていたと言えるよう
です。記念館が併設され、当時のようすが展示されていました。
 日本のキリスト教(プロテスタント)もアメリカ・カナダのミッションによって始められました。その点
では、韓国のキリスト教とも「兄弟」でした。にもかかわらず、韓国の兄弟を隣国の「兄弟」として認
識する力を持つことができませんでした。キリスト教信仰が異質な観念にとりこまれていることに気
づかなかったのです。韓国では、キリスト教信仰と民族のこころとが深く連携していました。独立運
動のリードする人々の中に多くのキリスト教徒がいました。彼女もその両親もキリスト教徒で、地域
の中でリーダーたちの一人でした。4月、この地においての独立運動で両親は、その命を失い、彼女
は逮捕されやがて3年の懲役刑を受けソウルの西大門刑務所に送られ、そこで獄死します。18歳で
した。この刑務所は独立運動に関与した人々を拘束するために大々的に改築されたところでした。
韓国近現代史においては忘れてはならないところとして今日記念館として整備されています。逮捕、
拷問、そして処刑という、刑務所が矯正ではなく、思想的な確信犯に対処するための陰惨な事実が
示されています。処刑した後の遺体搬出の方法も、正義を確信できない人々の、いいしれぬおぞま
しい作業がなされていた、として語り継ごうとしています。
 中年の牧師が90年前の出来事を、もの静かなたたずまいで語られるのを、間近で聞きながら、な
ぜ日本のキリスト教徒でさえ「兄弟」となれなかったのか、この思いがいまも頭から離れません。

                                  雨貝 行麿