館長の言葉


2011年1月です。新年になります。今月は日本キリスト教団の北海教区が主催する恒

例(毎年新年に開催)の「年頭修養会」での礼拝でのお薦めをご紹介します。

 

ピストルが鳴りました。6、7人が一斉に走り出しました。びっくりなさいましたか。

この秋、幼稚園の庭での、尊い出来事のご報告です。

運動会の日でした。年長組が「走る」のです。年長になりますと、この「走る」というこ

とがどんなことかわかっていますから一緒に「走る人たち」との競争となるのです。です

から、スタートラインに立った姿が、もう、違います。

6、7人が一斉に走り出しました。20メートルも走ったでしょうか。先を走っていた男

の子がフト振り返りました。あとから女の子が、すこし障害をもっていた子が遅れてきて

います。彼女を振り返って見て、彼はたち止まりました。そして少しもどって彼女の手を

もって2人で走り出しました!彼らは一番にはなりませんでした。でも、いえ だからこ

そこの光景は、幼稚園の庭で起こった尊い出来事です。

北海教区には64の教会・伝道所、そして関係センター、関係学校・幼稚園保育所など

たくさんの「キリスト教の機関」があります。1874年(138年前)に創立した函館

教会、明冶から大正にかけていくつか創立されました。昭和初期は造られませんでした。

そして戦後1950年代になりますと教会・伝道所が誕生し今日を迎えています。

明治期からの教会、戦後に設立された教会、初めに走り始めた教会、後から走り始めた

教会、力を弱くした教会、カを強くし始めた教会、あらためて教区の教会伝道所の連帯・

連携をつよめたいものです。かつて1人の100歩より、100人の1歩といいかわした

ことがあります。先の者はあとの者と共に歩む、です。最近教区、地区の連帯よりも、自

分の教会・伝道所のことで手いっぱいという声がささやかれ始めました。

北海教区の人々は、連帯を培った戦後の40年間があります。困難な時期が続きます。

困難は必ず、わたしどもの自己犠牲と謙遜そして忍耐を養います。「養う」のは一日ではで

きませんが何年もかけ、形を成します。それはわたしどもに内面的なカを育てていきます。

わたしどもはかえって新たな意志を一層盤石なものとするためのチャンスとうけとめる事

が出来ます。自己犠牲と謙遜は必ず寛容で柔和な人々を結びあわせます。

連帯とは、人と人とが平和になることです。キリストの平和です。旧約聖書の預言者の

ことば、「平和の君」として待望されていました。そして、すでに実現しました。遠い人た

ちが近くなりました。わたしどもは、敵意や軽蔑や偏見、誤解や憎しみや無関心ではあり

ません。「平和」とは、正義が実現され、公正がゆきわたり、裁判が適切になされ、貧しい

い人々が支えられ、病が癒され、青年たちが希望できる、ということです。一言でいえば、

人が人をみて「心から、にっこりすることができることです」。そこにイエスさまの平和と

和解が実現しています。これは実はあらゆる文化と宗教に共通することです。「にっこりす

る人」に石を投げたなら、投げた人は、やがて恥ずかしくなるでしょう。

あなたのイエスさまは、あなたを置いて、先走りするのですか。それとも遅いあなたを

そう早く早くとせかさずに、振り返り振り返りしていませんか。

                                  雨貝 行麿