館長の言葉

8月15日をむかえます。夏の暑さのなか、ご養生ください。

 わたしどもは忘れてよいことも多々ありますが、「忘れられないことがある」ということ

がありましょう。しかし、ひとのこころとして「忘れてはならないこと」があります。

1945年(昭和20年)のこの日、札幌北光教会の教務日誌には「戦いはおわりにぬ」

と記録されている、しかし、北方では戦闘がくりひろげられていた、ということを札幌の

歴史に詳しい鈴江英一さんからお聞きしました。

太平洋戦争、当時日本では「大東亜戦争」といっていましたが、その戦争がおわりをつ

げて60年2世代をこえて、当時のことを知るひとが少なくなりました。

過日、北海道クリスチャンセンターが主催する「キリスト教講座」で、当時10代であ

った松竹谷雪子さんがお話をしてくださいました。10代の「記憶」だから、確かなので

しょうか、それとも理不尽な事態を見聞きされたからなのでしょうか、苦難のなかで経験

したことは「記録」としても確かでした。10代の感受性と思想は、時代思想に左右され

ず、ひととしての真実を衝いています。大人なら「あたりまえ」としがちですが、若いと

きは、「真実と違う!」ということを先取りしているように思われます。彼女の経験した出

来事の深い印象は、忘れてはならないことなのでしょう。

さて北海道富良野のゆかりの倉本聰氏も「忘れることのできない」ことを『歸国』(旧漢

字で)という作品のなかにとりいれています。

8月15日東京駅で、すべての終電車がでたあと、軍用列車がはいってきたのです。

南方で「英霊」になった軍装の兵士たちでいっぱいになった列車です。(駅は、人の別れ

と、その分だけ、また出会いのあるところですね。東京駅は当時、南方への出征兵士を見

送ったところですから「別れ」の圧倒的におおいところです。記念碑が駅前に、「愛」アガ

ペーとギリシャ語が刻まれ、たてられています。その向こうに「二重橋」の架かった皇居

があります。)

「英霊」たちは、始発列車がホームに入る前までに、「平和になった日本」をたずねて、

それぞれゆかりの地に出向くのです。ある「英霊」は、かっての若い婚約者を探しにでか

け、会うことができました。初老の彼女は、その後結婚をしないで、独身、いまでは音楽

を教えています。「英霊」はたずねます。いまどうですか。

彼女はこたえました。「とても豊かにはなった。でも幸福ではありません。」

「でも幸福ではありません」それは彼女ひとりだけではありません。日本中がそうだ、

といっています。そして子どもたちは、「歌を忘れたかカナリヤのよう。」といいます。

子どもたち歌わない、子どもたちが歌い交わさなくなった。日本の社会は「平和ではな

く」、よどんでいるようにおもわれませんか。

社会のリーダーに就いている人々の中に「良心の声」に聞こうとしたり、「真実」を、な

んとかして生かそうとしている人の姿を見ることが少なくなった時代にいるように思われ

ます。若い人たちが「物は有り余るほどある、しかし、行く先に希望が見えない、」という

思いに駆られていることにも気づきたいのです。

子どもたちの夏休み、「忘れてはならない」ことを語り始めましょう。

                                  雨貝 行麿