2007年5月の言葉     館長 藤原 亨 

☆待望の春を迎えました。北海道での2回目の春を迎えることになります。本州に住んでいた人間にとっては、この地の春は約一月以上遅い春になります。ゴールデンウイークを迎えて初めて春到来を実感できることをいろんな所で経験しました(例えばパークゴルフ場や各地の農産市場や旭山動物園などがこの時期にならないと始まらないなど)。2度目の春を満喫したいと考えています。

☆雪に覆われていた大地もこれからいろんな花を咲かせてくれます。南国生まれの人間にとっては、北国は四季がはっきりしていることを痛感させられます。その分冬から春への期待が大きくなってわくわくした気持ちになります。環境によって人間の気持ちが随分と変わるものであることを経験しました。それはまた人間の文化や習慣の違いとなって現れてくるものであることも頷けます。

この春、一番最初に見たいと思っていたことは、旭川・男山自然公園の「かたくり」の群落です。富山にも「かたくり(富山では『かたかご』と呼ぶ)」の自生地はありましたが、狭い所で自生していましたので広大な場所での花園は大変に興味がありました。そこで先月末にそろそろ見頃かと思い出かけて見ました。うわさに違わずまことに素晴らしい花々を見ることが出来ました。「かたくり」「福寿草」「ニリンソウ」「水芭蕉」などで、斜面一杯に咲き誇っている姿は息を呑むほど圧巻でした。素晴しい自然に触れることは、心を豊かにしてくれると同時に神様の創造の業の妙を実感させてくれます。大人のみならず特に一人でも多くの子どもたちに素晴しい自然と触れ合って欲しいものです。

82歳の詩人吉本隆明氏が最近の若い詩人について語っておられることが紹介されていたのを読んで(朝日新聞 2007421日朝刊)考えさせられています。同氏は今の若い詩人たちは、「日常的な生活を詩らしくしようとしているが、何をどう書くかという自覚性がうかがえない詩。次に持てる教養や知識を精いっぱい使い、難しい言葉で難しいことを言っているが、詩の表現になっていない詩」が多いと言う。更に続けて「詩らしく行分けしてあるが、詩になっておらず、モチーフも凝縮できていない。この軽さは一体何のか」と。こうした傾向の背景として、自然に対する感受性の喪失が原因であると言う。

自然を疎かにしてきた日本人の心の貧しさと感受性の無さが文学の世界にまで及んでいるのを知らされると同時に、あらゆる分野にも同じことが言えるのではないかと痛感させられています。

私が今心がけていることの一つに、いつまで生活できるか分からない(元気なうちは出来るだけ留まりたいと願ってはいますが)この地で、出来るだけ多く様々の北海道特有の自然との触れ合いをして行きたいということです。 

☆その一方で人間の世界殊に我が日本国では、私たちの心を曇らせる事態が次々と起こっているのは大変に気がかりです。小泉純一郎前首相の頃よりさらに安倍晋三首相になってからその感を深くしています。教育基本法の改正に続き、教育関連3法案や憲法9条を失くすことを狙った憲法改正のための国民投票法案通過のための動きが活発化しています。安倍首相を取り巻く閣僚たちが「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーたちで固められていて、戦後レジームからの脱却を目指し国権主義的な体制作りを意図しているのも日本を再び暗雲の中に引きずり込んでしまう危険性を否定できないのではないかと危惧します。

私自身少年時代に「教育」の恐ろしさを経験していますので、そのことを尚更痛感いたします。私の経験した教育の恐ろしさというのは、国民学校4年生の時敗戦を迎えましたが、それまでは実は私は誰にも負けない「軍国少年」であったということです。その背後にあったものは、ほかならぬ軍国教育であったのです。知らず知らずのうちに国のために役立つ人間になるために誰にも負けない軍国少年となっていたのです。次月から教育の恐ろしさを一人でも多くの人々に知っていただくために「自分史」を何回かに分けて記して見たいと考えています。