2006年1月の言葉

年があらたまりました。 

 皆様、新年おめでとうございます。

パウロという人は「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」と言いました(新約聖書コリントの信徒への手紙二4章18節)。

 まだ、手つかずの今年は見えるものか、見えないものなのでしょうか。

 私たちは大抵の場合、見えるものよりも見えないものが大切であることを知っています。

体は見えるものですが、心は見えません。過去は見えるものですが、未来は見えません。いや、過去は見えるものであるとして、私たちが知覚できる部分の広さ深さには限りがあり、過去のことであっても見えない部分は予想以上に大きいと言えるでしょう。そんな私たちが年のはじめ、まだ見えない1年にさまざまな期待や希望をもっています。 

人はいかに生きるべきか 

 誰もが見えない未来に向かって生きるとき、問われていることは「いかに生きるべきか」という命題です。人は不思議な倫理性に生きています。時と所とを問わず、人が感じるよいこと悪いことについての観念は共通していることを私は不思議に思います。そして、それならば、新しい年にむかっての希望も、そのような倫理性にもとらないものでありたいものです。 

助け合って共に生きる方向へ 

 互いに助け合うよりも競い合う方向へ道を急ぐかに見える今の世の状況は心配です。人が倫理性に生きることは、助け合って共に生きようすることでしょう。今年1年、互いの間に平和をつくり出していくこと、互いに助け合って生きていくこと、それを生活のあらゆるレベルで実現させていくことを願いつつ、歩みはじめようではありませんか。 

どなた様にも主の祝福が豊かにありますように祈ります。 

館長 中山洋一