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Logos 今月の言葉

2012年 2月 館長からのメッセージ  
 当センターでは、毎年夏「平和ツアー」としての旅行を実施し「過去の歴史からたくさん学び、現在を真摯に生きるためにすこしでも役立てよう」としてきました。ことしは、すこしグローバルにと、「平和」の観点から「チェコとポーランド」を尋ねる計画です。地誌的には「東欧」より「中央ヨーロッパ」(中欧)です。するとオーストリアがはいります。
 そこで、はじめにオーストリアのことを瞥見しましょう。その首都ウイーンはつとに知られていますね。最近オーストリアの鉄道は様変わりしています。EUのために「人、物」が自由に行きかうようになり、列車も航空機との競合から、高速・快適をモットーに「レイルジェット」と愛称でよぶ高速列車をつくりました。室内は航空機並みに「プレミアム」「ファースト・クラス」そして「エコノミー」としました。「プレミアム」では個室で軽食が提供されます。ウイーンの駅舎も、西駅という西側と繋がる駅舎も改修し、さらに、かっては「南駅」といった、ハンガリーなどと繋がる駅を、現在大規模な「中央駅」を建設中です。
 さて、その西駅です。2階の発着するコンコースの一角に、1メートルほどの高さに「大きなトランクに腰かけた少年」のブロンズ像がおかれるようになりました。いったい何を示しているのでしょうか。時折立ち止まって、そのブロンズに注目している人がいます。その台座には「ひとりの人間を救ったひとは、すべての人間を救ったことだ。」というタルムード(ユダヤ教の教え)の言葉が記されて、つづいて「1938年から1939年の間にナチスによってとらえられる10,000人の子どもたちをウイーンからイギリスに脱出させることができた。イギリスの人びとに深い感謝とともにこれをささげる」と刻印されていました。
 以前ここは、ウイーンの玄関口にあたる駅舎ですので、ハプスブルク王家の后妃エリザベートの大理石像がおかれていましたが、この「少年像」が目立ちます。
 第2次大戦が始められた直後、1943年にアメリカ、イギリス、ソ連によって合意された「モスクワ宣言」ではオーストリアはナチスによる最初の「犠牲者」としていました。しかし実際はむしろナチスを歓迎したのです。1980年代後半オーストリアの大統領であったワルトハイムがナチスに関わりのあることが判明し、国際的非難ののち彼は過去を謝罪しました。このことはオーストリアの自己批判ともつながりました。戦後世代が成長して、教育の目的を次のように表現するに至りました。「学校での授業は、人権をまもる義務を負った民主主義に積極的に貢献しなければならない。自ら判断し、批判し、決定し、行動する能力をはぐくむことが、多元的で民主主義的な社会の安定にとって決定的に重要である。」そこで「生徒たちは、ますます国際化する社会の中で世界に対する開放性を教えられなければならない。」としています。オーストリアが、国際的に自国の歴史に正しく立ち向かい、国際的に「名誉ある」(わが憲法!)市民となるために自らの過去を「正しく判断し、批判し、決定し、行動する」ことが優先されることが大切です。
 いま、ドイツとの国境の駅ザルツブルグの駅舎も、大改築です。その正面にもあらたにプレートがはられました。そこにはナチスとの過去への取り組みがなされています。「過去に目を閉じる者」としてではなく、あらたな時代への眼差しを持ちたいですね。そんな思いで、旅に備えます。                          雨貝行麿

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