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Logos 今月の言葉

20135月 

次の月68日(土)14時から「小塩節(おしお・たかし)先生講演会」をセンター2階ホールでいたします。主題『祈り』です。 
 小塩先生はドイツ語・ドイツ文学のご専門です。国際キリスト教大学で教授をされて貢献されていたのち中央大学にうつられました。NHKドイツ語講座のお世話、そしてドイツ、ケルンでドイツ公使、日独会館館長としてもお働きでした。ドイツ公使の際には特に東側における日本学、日本文化財の再興につくされました。
 帰国後は、フェリス女学院の学長、理事長を歴任され、政府の委員会の座長も務められ公的な活動で著名です。しかし、わたしの印象では、ご父君が開拓された「井草教会」の日曜学校の校長先生として毎週日曜日子どもたちの前に笑顔で立たれて聖書のお話しをなさり、最近ではご母堂の後継者として「ひこばえ幼稚園」園長として、たくさんの子どもたちに昨日イエスさまに会ってきたようにしてイエスさまのお話しをなさる方、という印象です。
 子どもたちの笑顔でどれほどか慰められることか、とそのご著書に書いておられます。
先生は、小さなエッセイで、ご自身の日曜学校のお話しを書かれていました。ご父君が九州、佐世保の牧師をされていたとき、まだ素直に、でもちょっと気になる日曜学校の生徒でした。「ちょっと気になる」というのは分級の先生が「きれいな女の先生」に気づいておられ、面とむかうと向かうとすこし気恥ずかしい思いがする年頃のことでした。
 あるとき分級が終わって「お祈り」をしました。ところが突然同級の「繁ちゃん」が「せんせ、たかしちゃん、めばあけよった!」とその先生に訴えたのです。佐世保では「めをあけていた」ではなく「めば」「あけよった」なのです。「きれいな先生」は「たかしちゃん、お祈りのときはめをつむりましょうね。」と諭してくださいました。
 小塩先生は大人になってからもこの瞬間の気恥ずかしさは忘れることができなせん。でも、と小塩先生は書くのです、なぜ、なぜ「繁ちゃん」はわたしが目をあけていたことを知っていたのか?
 小塩先生は大学問題の処置の方法の不適切さに毅然となさり、NHKドイツ語講座の運営でも道をただす、そんな方ですからドイツ公使として特に東側の文化行政の実態について深刻な状況を把握されてから、実に大きな寄与をなさいました。日本の国際交流基金による人財派遣についてはきめの細やかな配慮をなさり、行動的でした。
 わたしも先生に習って、東側の時代、ポーランドの古都クラコフのヤゲィロ大学で日本語をまなぶ学生たちに日本語の図書をはこびました。するとポーランドの学生たちから立派な日本語で近況と感謝の手紙をうけとりました。
 小塩節先生は、毅然とした行動をとられながら、他方、子どもたち、青年たちに心遣いをなさる方です。わたしの秘かに私淑する先生が、今回おいでくださいます。
 しかもお話の主題は、今回「祈り」です。
 イエスさまは子どものようにならなければ、とおっしゃいます。「祈り」もまたそうでしょう。

                                            雨貝行麿

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