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Logos 今月の言葉


2014年 10月 館長からのメッセージ 

『平和ツァー』その3

次に「ルターシュタット・ウイッテンベルク」を訪ねました。ちょうどワイン祭りが始まると時期、期待しましたがまだ準備中です。わたしどものバスは城教会の近くの駐車場にのりいれました。城教会は改修工事中です。残念なことに入口の扉に刻印されている95カ条も保護されて、直接見ることができませんでした。
 2017年、宗教改革となる95カ条の提示は1517年ですので、「500年」記念にむけて、内陣もかなり徹底して改修中でした。「工事中」ですから本来ならば入場できませんでしたが、午前中の休憩時間にあたりましたので交渉して一時的に内陣を見学しました。工事の足場が床から天井まで組み込まれ、壁画など見学できる状況ではなく、ただ床に設置されていたルターの棺が確認できた程度でした。
 しかし、まさしく、ここでルターは10月31日(一応そうされています)95カ条を提示したのですね。その第1ヶ条「わたしどもの主であり師であるイエス・キリストは、わたしどもの全生涯がくいあらためである、ことを求めている」とのことばを同行者の方々に、わたしは改めて告げることになりました。やや「感無量」です。当時教会は、ひとびとに「改悛の秘跡」をうければそれでよしとして、そのための何がしかの献金をすることとしていた事でした。このルターの指摘は、今日もなお有効でしょう。
 併設されているセンターに、この95カ条の提題がドイツ語と英語に翻訳され、立派に表装されている「お土産」がおいてあり、数人の方々は、所属する教会の牧師に、と買い求めていました。
 小さな街です。疏水がながれている通りは建物が再統一後修復されて、その壁には16世紀に活躍した多くの学者の名板がとりつけられています。1500年代大学が創設され、青年たちがあつまっていたことが想像されます。最盛時500名をこえる状況でした。
 大学におけるルターの役割は聖書学者、そのためにはヘブライ語のアグリコラ、ギリシャ語のメランヒトンなどの支援と交流がなければ為し得なかったことを思います。
 三々五々街並みを見上げながら散策するとまもなくもう街はずれ、1キロも歩いていません。そのはずれにルター記念館があり、その大きな建物の前に、夏の強い日差しをあびて、ブロンズ像が立っています。大きなコの字の枠の下に一人の女性像が立ちます。カタリーナ・フォン・ボラ、修道院からでて、ルターと結婚した方です。かこまれたコの字の枠からまさしく一歩踏み出している姿です。同行の女性たちからおもわず「一歩踏みだす!!」と感嘆の声があがりました。16世紀の出来事の射程が、いまにのびた瞬間です。
 「ルターの街ウイッテンベルク」といいますが、かってはザクセン王国の小さな街でした。そこに大学ができ、若い学者たちが集まりました。かれらは現状が、よこしまで間違った時代になっていることを感じ始めていました。
 そのかれらが新しい時代を切り開く起爆剤になったのです。
 夏の日、小さなレストランでは日本人を歓迎する主人がひとりで切り盛りしてくれました。
 帰り際「また来たいわね」そんな声が後ろでしました。

                                雨貝行麿

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