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Logos 今月の言葉


2014年 11月 館長からのメッセージ 

『平和ツァー』4

ルターの街、ヴィッテンベルクを後にして街道を一路ライプツィヒに向かいました。
 1に訪ねたのは「国家保安部」、一般には「シュタージ」としてよばれていた機関の建物です。旧市街の環状道路に面して威圧的なたたずまいでした。いまはだれでも「自由に」訪れることができる!のです。権力の交代とはこうも変化するのですね。
 政権の基盤が脆弱であれば、人々の動向が気がかりです。そこで社会主義政権(実はソ連型共産主義といわれています)は人々の中に情報を得る手段を露骨に張り巡らしました。そのための盗聴装置、私信の開封装置、自白を容易にする薬剤の開発等が行われましたが、それらが公開展示されていました。
 わたしどもは、当時は全くの部外者ですし、いまも基本的は部外者です。被害者ではありません。当時の政権のもとで生活していた人々がいますし、その経験を持つ人々もいます。部外者の立場で、当時の状況を批判的に見ることは差し控えることでしょう。
 大切なことは、さまざまな時代を示す素材の展示、そこにある事実を前にして「しっかりと考えること」でしょう。
 当時東ドイツで、キリスト教徒たちは困難のなかで生きました。その社会から「脱出」して生きる人々がいましたが、大多数は、その困難の中で「信仰をたもって生きる」道をつくろうとした人々です。ここライプツィヒでは、人びとが「わたしどもはここで生きる」といい、やがて、それを「ドイツ・われらの祖国」とプラカードに掲げました。人々は「自由選挙」を主張したのです。その一歩さきには「われらこそ民Wir sind das Volk.」がありました。主権者の主張です。これは、政権担当者が「民主的独裁」の主題のもとに専制的権力を掌握する手だてを根底から人々が吟味することになりました。
 この主張を広げたのは市民のための教会、聖ニコライ教会の牧師でした。彼は1983年から「月曜5時」に平和の祈祷会を開催してきていました。当初は「祈る」ことはなにかの役に立つのかと問われました。「なによりも神ご自身が平和と正義を求める方です。」と語りかけました。7年経って19899月急速に野外が冷え込む季節、教会堂を人びとが潮のごとく満たしました。危機を感じた「国家保安部」は教会堂を取り囲み、出て来る人々、その街の人々を、ごぼう抜きに逮捕しました。街の人々は、逮捕された人々の名前を教会堂の外壁に掲げて、平安を祈りました。
 109日、夕暮れ時人びとは教会堂からろうそくを灯して出て来ました。「非暴力による自己主張」です。これは暴力を凌駕するつよい意志に育まれたものです。
 いま教会堂の脇には、あの夕暮れどき闇の中に光り続けた炎は、人々の行き交う街路にいまも忘れずに新たな形で点灯されています。その脇の石畳の間に「1989109」と足跡を刻印した真鍮板がはめ込まれています。政治権力をこえて、人々の権力が、歴史を動かした、そのことを記憶にとどめようとしています。
 わたしども一同は、聖ニコライ教会の小さな入り口の前で、平和をつくりだす人々は、私の子だ、そんな語りかけを思い出しました。

                                雨貝行麿

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