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5月3日は日本国憲法の日です。わたしは小学生の時、この記念日に学校行事として、街頭にでてみなで行進したことがあります。もちろん憲法がなんであるかそれほどわかっていたわけではありません。しかし、戦後の日本が「文化国家」「平和国家」として再建するという意気込みだけはわかっていました。
「文化国家」になるので11月3日の「文化の日」に公布され、半年後の施行となって5月3日に記念日としたのです。11月3日が「文化の日」となりました。この日が戦前・戦中には「明治節」として明治天皇の誕生日で、明治生まれの人々はその天皇に対する尊崇、親愛の情はとても深く何としても日本の祝日として残したいとして当時の文化人たちが主張したためです。
戦争後の日本のまさしく再建には、「軍国主義」「国粋主義」から転換して「文化国家」「平和国家」建設が基本的な方向でした。しかしこの転換が当時は「一億総ざんげ」といわれていました。
日本では「昭和の時代」になってから中国で戦争がはじまり、その戦争が続き、さらにアメリカ、イギリスとの戦争になってもこれを終えることができず、ついには沖縄で一般市民たちを巻き込んだ戦闘が行われて、多くの市民、子どもたちまでもが犠牲になっていました。首都圏では、アメリカの爆撃機B−25が、白昼爆撃をしても、軍部のみならず、まだ市民の戦争継続の気持ちがありました。
政府は、原子爆弾とソ連の参戦によって進退きわまって、戦争の終結の方途がないままでした。多くの犠牲者が生じても戦争は終えることができませんでした。
したがって日本再建の方途は市民の中から生み出すことはできませんでした。しかし気が付いてことがあります。それは憲法の前文にあるように「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」したのです。ですから本来「文化国家」であるよりも「民主国家」であるのでしょう。
その民ひとりひとりが「戦争の惨禍」を認識して、再びその錯誤を繰り返さないために「戦争の放棄」をしたのではないでしょうか。
戦後、東アジアでは戦争が終わって5年で「朝鮮戦争」があり、続いて「ヴェトナム戦争」がありました。でも日本はこれらに積極的に参加しませんでした。自衛隊は武器を携帯して海外にでることはありませんでした。
しかし最近では「湾岸戦争」そして「イスラム過激派」による戦闘行為がなされるとこれらを鎮圧することが「平和」をもたらすと考えるひとびとが増えてきました。
ほんとうに「戦闘」によって、その結果「平和」をつくることができるのでしょうか。歴史の歩みをみますと「戦闘行為」は「敵意」と「復讐」をもたらすことは確実です。
「一億総ざんげ」ではなく「ひとりひとり」がその自由の中で「政府の行為によって戦争の惨禍がおこることのないように」心に刻み付けたいと思います。「命の尊さ」「平和の尊さ」を守りたいものです。そんな決意、「民主主義」を新たにする日にしたいものです。
雨貝行麿
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