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Logos 今月の言葉


2016年 6月 館長からのメッセージ
  

   

 1968年から1996年まで30年近くを小樽教会でお働きなさった藤井弘牧師の告別式を当センターでいたしました。祈祷会は6月12日月曜日18時、三枝禮三牧師が司式、告別はご縁で私がその式を執り行いました。以下その説教を記録します。
 昨日の祈祷会では藤井先生がお育てになった方々が藤井先生に感謝していました。それぞれ若い時期に小樽教会で、こころに深い刻印をいただいた方々でした。いまはそれぞれのところで社会人として、また信仰者として生活をいとなんでおられますが、その基本は若い時に藤井牧師に出会ったからでした。教会はとても大切なところです。
 ひとは、人と出会い、そして交わり、同じ時代、同じ状況の中で尊く、深く、広い経験を心の中に蓄えていくのですね。
 いま わたしどもは藤井牧師を天におくります。この地上では愛すべき方を失って、深い悲しみ、痛みの中にいます。特にご夫人をはじめ、ご遺族の方々の悲しみは容易に癒されることはありません。
 だが、しかし、天には新しい人が加わったのです。
 ひとは、少しづつ、少しづつ、大切なひとを天に送らなければなりません。送っていただきましょう。わたしども自身もやがてはおくられたいからです。
 さて藤井牧師とわたしも出会い、そして励まされました。
 それはわたしの20代後半でした。わたしは東京・千歳船橋教会、北森嘉蔵牧師、そして五味川純平『人間の条件』の主人公のモデルとされた隅谷三喜男氏が役員であったところで育ち、そのまま札幌のキリスト教学園に赴任し、キリスト教の担当者となりました。しかし学園は、戦争中のキリスト教をその理念から放棄した歴史の痕跡がありました。キリスト教を基本とする、といいながら実はそうではない、しかし今になって時代だからキリスト教を理念としている。そのような内部批判のなかで、しかしキリスト教の再建を担わなければならない。未熟さにきづかず、しかし気負いだけがありました。
 ちょうど同じ時期、藤井牧師が小樽教会に赴任されました。40代に入ったばばかり、政治志向で「いごっそ」(気性が激しい)土佐でキリストの福音をこそすべてだ、悪戦苦闘したと見えたのです。
 わたしは自分の宣教の最前線で、小樽教会で、「説教」を「宣教」と示した、そんな方に出会いました。
 キリスト教学園の生徒・学生よりも、教職員にとって大切なこと、キリストの福音だということを、これこそが学園の形成のかなめであろう、そのために教職員の修養会に来ていただきたい、いささか気負いながら、しかし周辺の無理解と無関心をかこちつつ、藤井牧師にご協力くださいと語りかけました。
 キリスト教学園は時代の政策のなかで翻弄されています。ヴィジョンをもつべき役割をはたす人々は目先にとらわれている。教育者は希望をもって熱意はあるがキリスト教に無関心である。キリスト教を尊敬していない。
 藤井牧師は、ずっと耳を傾けておられましたが、ようやく「どこも未熟です。」と年長者らしい笑顔で語り、「学園に伺いましょう。」と言ってくださいました。(次につづく)

 
                                     雨貝行麿

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