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Logos 今月の言葉


2017年 3月 館長からのメッセージ
  


讃美歌のこと(その2)
キリスト教の歴史は、イスラエル、ユダヤ民族の宗教史から継続しています。そしてこの宗教の特徴は、文書と歌唱です。これらが一つになっているのが詩編です。
 詩編は歌です。当時は、楽譜がありませんでしたから、どのように歌ったかわからないのです。詩編は5巻です。その一巻の終わりには必ず「ハレルヤ」と結ばれています。そして最後の5巻目の終わりは、初めに神殿で祭司たちによって賛歌がうたわれ、次いで神殿に使える者たちによって楽器が奏でられ、終わりに「すべて息のある者たちよ、歌え」。つまりすべての民よ、声をあげよ。」神さまの最も喜ばれることは、祭司のみならずすべての人たち、しかも人間の声で賛美することなのです。
 この賛美こそがやがてヨーロッパ文化のなかで、特に教会・修道会のなかで成長していくのです。9世紀には修道院では聖務日課として歌われます。共同で歌うので楽譜が整えられていきます。楽譜ができると場所を超えて伝播していくことができるようになります。
 教会・修道会は詩編を用いた礼拝のための音楽、言い換えると典礼を発展させていきました。その担い手はいわゆる聖職者たちでした。これを信徒たちに担わせるようになったのが16世紀の宗教家改革です。(最近ではボヘミアの改革者フスたちの活動から民衆の賛美歌が作られ、歌われるようになっていたことが明らかになってきました。)
 宗教改革、ルターは聖書と賛美歌を民衆の生活にとって重要だとしました。ひととしての成長にとって聖書を学ぶ、賛美歌を歌うことです。聖書を民衆の言葉ドイツ語に翻訳しました。賛美歌は詩編とそのパラフレーズをして民衆のなじめるメロディにしたのです。そこで民衆たちは堰をきったように歌いだしました。これがやがて「コラール」といわれます。また改革派ではカルバンとその協力者たち、人文主義者たちが詩編を民衆の言葉、フランス語に翻訳して歌うこととしました。「ジュネーヴ詩編歌」とよばれるものです。
 これらが、礼拝に集う教会堂で民衆が学び、歌うようになりドイツ語、フランス語が洗練された言語になったと評価されるのです。キリスト教の働きがそれぞれの言語の近代化を果たしたのです。日本語では「協会訳」聖書1955年では人称を「わたし」と「あなた」にしましたが「新共同訳」では「おまえ」にする場合が多々見られるのは不都合なことです。また「天国」が定着したのに「天の国」と新しい日本語を提供したのは不適当だと考えています。
 さて下ってイギリスでは聖公会も詩編を歌っていましたが、メソジスト、会衆派、バプテストなどの教派が生まれるにつれて「もっと生き生きとした」歌を歌うという欲求が生まれてきました。「生き生きとした礼拝にしよう」という意図です。そこで多くの信仰の内容をわかりやすい表現で作詞がなされ、それによった多くの作曲がなされました。
 19世紀北米の諸教派の賛美歌が開国した日本に輸入されました。日本のプロテスタント教会はこの時期の北米で歌われていた賛美歌を翻訳したものでした。8割が英米で少しドイツ、フランス、オランダ、そしてごく少数の日本人によるものでした。日本人の作詞作曲はなく、賛美歌では英米の「植民地」の体をなしていました。1954年、日本のプロテスタントの最大教派日本基督教団で編纂出版した「讃美歌」はこの状態でした。1997年の「讃美歌21」も基本的には同じでした。(つづく)

                                     雨貝行麿

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