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Logos 今月の言葉


2017年 6月 館長からのメッセージ

 さて19世紀以来のチェコ独立、それはなによりも文化的な自己主張から始まります。
フス以来のチェコ人たちは、ビーラホラの戦闘でハプスブルクに敗戦以来長い間外国の権力支配のもとにおかれ、カトリック・バロックのもとでプロテスタント・チェコ福音主義兄弟団は息をひそめていました。しかし20世紀いよいよ民族自立の潮流は西ヨーロッパの応援で中欧の少数民族チェコに力を与えました。かれらはスラヴ民族、そしてスラヴ語という東ヨーロッパでありながらその盟主となったソ連とは距離をとりました。 
ヨーロッパの中欧で東西の仲立ちとなるというのはしかし、はなはだ現実的ではありません。チェコの独立は西ヨーロッパ、アメリカの理解と支援によったのです。
 20世紀ムハはフランスで活躍・評価されていました。アールヌーボウの時代がやや陰りを見始めたとき、ムハは自己の民族に矜持を痛感、プラハに戻りました。少数民族の、しかし人類史にかけがいのない財産を提供した歴史を広く知らせようとしました。その営みこそ今回の『スラヴ叙事詩』です。チェコのみならずロシア、ルーマニア、ブルガリアなどスラヴの人類の自由と平和を求めた事跡が絵画でたどるのです。
 その一つを紹介します。『ベツレヘム礼拝堂で説教するJ・フス』です。19166m×8mです。ゴシックのボールト天井の下で繰り広げられる人間模様です。フスの事跡をさまざまに伝承された人物たちで隙間なく描きます。中央左手の説教壇(祭壇ではない)から身をのりだして右手前方にむけて説教する若いJ・フス。中央正面には説教を克明に筆記する青年。右手にはフスの説教に耳を傾ける王妃。そして街の女。さらにフスの働きを教皇庁へ伝えるために派遣された司祭。そして左手には黒衣のヤン・ジェシカ、かれはフス戦争で片目を失いつつもそのいのちの最後まで支持者でありました。
 画面からは、チェコ人らしく大きな手振りで語るさまがうかがわれます。フスの声は聞き取れませんが、さまざまな人々がチャペルに集い新たな時代の胎動を感じていることがみてとれます。「初めに言葉があった。言葉がいのちを与えた。」のです。 
さてもう一つ。『イヴァンチェツェの兄弟団学校』1914年これも6m×8mです。フスの出来事の後継者たちはハプスブルクの支配のもとにおかれました。ドイツ語が公用語、そしてカトリックですのでラテン語です。しかしチェコ人にはチェコ語が必要です。ましてや聖書は「自分の言葉」チェコ語で祈り、学びたいのです。そこでチェコ人たちは自分たちの後継者を育てるためには密かにチェコ語による子弟の教育を、しかも自分たちで印刷をはじめたのです。その印刷工房がクラリッツエというところでした。いまでも古いチェコ語の聖書は「クラリッツエ聖書」と言われます。(自由化してからは国際的なヴァージョンで印刷されています。)15世紀に自分たちの言葉の聖書をもったことはかれらの誇りです。
 ムハは191050歳でプラハに戻ります。それはチェコ民族をふくめたスラヴが苦難の中から自立する民族としての誇りを自覚したからです。1919年チェスコスルヴェンスコとして独立、しかしその西側からドイツ・ナチの急速な勃興とその力による支配が1938年に襲い、39年にはスラヴを劣等民族とするナチの支配、その弾圧による尋問、肺炎を悪化させて死去76歳でした。その遺品がいま国境をこえ多くの人々に深い感動を与えています。 
                                      雨貝行麿