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Logos 今月の言葉

201711
ルターが宗教改革のくちびを切ることになったのは11月の諸聖人の記念日を前にした時であったといわれています。そこで1031日がその記念日で、ことしは500年の記念日になります。そこで「宗教改革500年記念平和のコンサート」として企画したのです。そこでテーマは、このルターの働き初めは「贖宥」の課題にとりくむ在り方でしたが、それにとどまらず礼拝の改革になりました。礼拝の改革といえば信仰の解き明かしを自分たちの日常の言葉、ラテン語ではなくてザクセンのドイツ語にしました。さらに賛歌、いわゆる賛美歌もドイツ語で司祭ではなくて人々が歌うこととしました。ドイツの人々がみなで自分たちが歌えるような類の歌でしたので、どんなに喜んだことでしょう。そして歌のことばもなかなか意味のある、楽しかったり、うれしかったり、悲しかったり、がっくりしたりしたことが含まれているので自分のことのように受け止めたのでしょう。するとそこはドイツです。大きな声で、皆で歌うことが好きな人々です。教会だけではなくて街でも家でも集まれば声を合わせて歌うことをこよなく愛したのです。それが連綿と人々をつなげる働きをしました。やがて教会の共同体は、同時にその街の仲間ですから、それだけに連携するだけではなく結束するはたらきにもなりました。人々の深い絆になりました。そんな働きを音楽家たちが他人事のようにするわけはありませ
ん。自分たちが活躍する場になります。これがドイツの教会を音楽の働きと結びつけます。ドイツの教会の中で音楽家たちが活躍します。その頂点がJ・S・バッハです。
バッハの音楽活動は、基本的に礼拝と結ばれています。彼自身が教会の音楽活動のかなめになっていました。それがカントールという役割です。彼は日曜の主礼拝をつかさどりました。斧田夕べの祈りの場合もあり、街の冠婚葬祭にあたってその儀式を音楽でつかさどる、進める働きを担いました。抑揚のあまりないやや禁欲的な音楽です。これがドイツコラールというのです。コラールによって信仰の内実をまなぶことができましたこの頂点にある音楽的作品が聖書に題材、内容をとった受難曲です。イエスさまが十字架にかかる出来事をえがいた記事を中心において音楽で奏でるのです。くしくもイエスさまのできごとの最初の記事が、イエスさまの受難であると神学はしめしました。
さてそこで、今回宗教改革500年ルターの働きとバッハの働きをおぼえての企画を中心にしました。
さいわいマタイ受難曲のなか人間の側からのクライマックス、イエスさまの一番弟子と任じていたペテロがイエスさまのことを「私は知らない」と言い切ってしまう、そのあとのアリア(アルトの歌)を歌っていただきました。ヴォランテイアでピアノの伴奏、ヴァイオリンのオブリガート付きでした。長いアリアを一気に詠唱すると、コンサートにおいでの方々に深い感銘を与えたようでした。
ルターが神学で表現したことを、バッハは音楽で奏でたといってよいでしょうか。                                        雨貝行麿