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ドイツ・ライプツィヒの街はバッハの芸術活動をした街としても日本に知られています。この街ではバッハが活躍した歴史をもつとはいえ戦後長い間、いわゆる東ドイツの政権のもとでは教会活動の一環として礼拝音楽を研究することはおもうに任せない時代でした。
今日ドイツ再統一から20年をへて、バッハ研究とそのあらたな研究成果をもとにした啓発活動の拠点つくりには目を見張るものがあります。
バッハ生誕の地アイゼナッハではバッハ博物館が大々的に改修されましたが、つづいてバッハが最も長く活躍したライプツィヒの聖トーマス教会の近く、博物館も最近(2011年)大きく改修、整備がなされました。
ライプツィヒのバッハ博物館は、従来の博物館を今回大々的に改修しました。当時の豪商ボーゼ家の旧館1,2階12室を展示場にしたのです。ボーゼ家の家宅は北側にトーマス教会の聖歌隊宿舎と校長宅とバッハの家宅の3階建(一部7階建)と向かい合っていました(今日は取り壊されています。その模型が展示され、当時の聖歌隊員とカントールの生活を垣間見ることができます)。その向かいがトーマス教会です。バッハ一家はこのボーゼ家の人々とも親しくして、その家宅の(現存する)「夏の広間」で演奏会をしたとの記録がある由緒ある建物が整備されました。
さて改修、新装なったバッハ博物館には、新たに判明した学術的成果がおしげもなく展示されています。思いもよらない仕方で発見されたバッハ家の家具、バッハが教会の奉献式で奏でたオルガン、バッハ時代の楽器類、バッハを埋葬したところから発掘された器具類、が展示されています。
なかでも特記すべきは長年にわたる東西ドイツ時代に研究資料のやり取りをしながら完成した「新バッハ全集」の諸成果、研究技術の理化学的方法による資料、楽譜の真贋、年代決定の方法等は素人目にもわかるようにしていることです。
さらに、わたしにとりましてこころにとめたこと、それは小林義武氏の研究成果です。新バッハ全集の補遺として2冊、1冊はバッハの楽譜を透かし模様による作曲年代決定で、カントールとしてライプツィヒ時代の作品に対する、あらたな成果です。バッハはライプツィヒのカントールとして就任してまもなく、かなり精力的に、集中的に作品を生んだということになりました。また2冊目は、小林義武氏とその夫人Kristen Beisswengerさんとの共著です。バッハの楽曲を演奏するときに、演奏者たちに楽譜の手書きコピーを作成してをわたすのですがその手書コピーの検討を本格的にした成果です。
小林氏は昨年3月に逝去されました。わたしは今回、新装なったバッハ博物館で、彼のバッハ研究所での画期的ともいえる研究成果をあらためてまのあたり触れ、バッハ研究の実証的方法を知ることができました。
博物館をでて、実証的研究成果の余韻を数軒隣のバッハストウーベ(喫茶)で、外の広場にすっくと立つバッハ像を見やりながら熱いコーヒーとともに反芻しました。
雨貝行麿
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