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最近『ハンナ・アーレント』という映画上映されました。一部を紹介しましょう。
ハンナ・アーレント、1906年ユダヤ系でドイツ生まれの哲学者で、マールブルク大学でハイデガーに学びました。
やがて身に迫るナチスの手から逃れて(短期間秘密警察に拘束)フランスに、そこでユダヤ系の青年たちをパレスチナ移住を支援、資金等調達で活動、しかしフランスもナチスに支配され、彼女自身「収容所」に収容されましたが脱出、アメリカに亡命し、1944年ユダヤ文化復興の機関ではたらきます。戦後優れた哲学的著作『全体主義の起源』1951年『人間の条件』1953年等で期待されたのです。政治の季節がつづくなかで戦後精神的な再建のための哲学的展望をしようとしたのです。
1960年、ナチスの政策「ユダヤ人問題の最終的解決」のための実務を担当した中央治安局課長アイヒマンが逃亡先で拘束され、エルサレムで裁判が行われることになりました。「最終的解決」とはユダヤ人を絶滅することでした。アイヒマンはその実務遂行の中心的人物でした。彼の裁判がエルサレムで行われることを知った彼女はその裁判を傍聴することとしました。かってナチスの戦争犯罪をニュンベルクで裁かれた時参加できなかったのでこの際は「過去に対する義務を果たす」ことを願ったのです。そして、この裁判の報告を『ニューヨーカー』誌に掲載しました。この前後アーレントが置かれた状況とそれに対する彼女の真意をマルガレーテ・フォン・トロッタ監督して映画が製作されました。
いま日本は得体のしれない空気がよどんでいるのでしょうか。多数が、少数を追い詰めることこともなげに行われています。
ハーレントは、民主主義とはいえ、多数の見解がかならずしも歴史において真理をあらわしてはいないことを身をもって知っていました。人間には良い行いをする人と、悪い行いをする人とがいて、ナチはまれにみる悪い人間だといささかも動じない判断をすることに警鐘をならしたのです。人間が他人に悪を犯すのは「利己心」から行われる、とも考えられてきました。
アーレントは、アイヒマンの行動は、しかし「利己心」からではないことが裁判の過程で明らかになったと言うのです。知性と倫理性とが備わっている人間が、なぜ何も咎のない人々を無差別に、しかも計画的に殺害するシステムに日常的に携わることが可能であるのか。知性と倫理性をそなえた人間がどうして「悪」を行うのか。
アーレントは、アイヒマンという具体的な人物の発言を克明に聞いて、判明したことを寄稿しました。収容所に「悪人」がいたから、その「悪」によって人間性、その知性と倫理性を破滅させる行動が行われたのではない。
ひとが、その時、その場で「考えることをしない。」「判断することをしない。」すると普通の人が、どんな悪事をも普通に行うのです。アイヒマンは「考える」ことをしなかった。映画の中で監督製作者マルガレーテ・フォン・トロッタはアーレントにコロンビア大学の若い世代にむけて語らせます、「考えることで強くなる。危機的状況のなかでも、考えぬくことで破滅にいたらぬように。」新しい時代に向かう人々、特に青年たちへの警鐘です。
雨貝行麿
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