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Logos 今月の言葉


2014年 5月 館長からのメッセージ
  

消費税8%導入にあたり「社会保障と税の一体化」が総選挙でいわれましたが、最近ではこの「歌い文句」が下火になりだしました。
 いま日本では、社会保障のなかでも、高齢者のことは焦眉の課題です。日本は、世界の最先端を行く少子高齢化です。かっては「野球型」といい9人が1人を背負うといわれた後、いまは「騎馬戦型」で3人が1人を背負うといわれました(2013年10月に書きました)。しかし、高齢者が人口の25%になり、のっぴきならない現実が迫っています。社会保障としては医療、保育、介護、看護の各領域での経費の増大の中で1つの「パイ」からどのように配分するか、大きな政治的課題でしょう。
 社会保障といいますと、よくスウェーデンやデンマークという北欧が取りざたされます。しかし、そこは高負担の歴史で、したがって社会保障は国家がすべてを賄うという方向です。しかし日本の場合はドイツと似ています。国家がすべてを担うということではなくて、民間も何とかして担うという方式です。
 ドイツの場合には民間といいましても社会保障は歴史的に「宗教が担う」つまり「キリスト教」の働きによって担われた歴史があります。
 キリスト教といいましても初めは「カトリック」です。たくさんの財産を持つ者は、天国にははいれません。そこで善行をつんで(メリット)天国に近づくことができます。慈善ですね。フランスでは、中世、貧しい人々が無料で医療をうけられる「オテル・デュ」(神の家)をつくりました。働き人は修道院の人たちが中心になりました。今日の医療もそれがかたちを変えて存続しています。ドイツでは、名高いのはアウグスブルクの富豪(銀行家)フッガーによる老人施設です。いまも「フッゲライ」という住宅が運営され、身寄りのない高齢者たちが、設立当時のわずかな費用負担(年間当時の1グルデン、今は1ユーロ)でなされています。慈善活動をたくさんする人たちはそれだけ天国に近くなることとして恵まれたのです。個人的な善意の発露が、尊い成果をうみました。
 カトリックは現代になってから世界的規模で慈善活動を展開し「カリタス」(ラテン語で「愛」英語の「チャリティ」)という働きで、慈善活動をしています。
 キリスト教でもプロテスタントの場合、カトリックの司教領や修道院を市議会の采配のもとにおきました。これを「世俗化」といいますが、市議会が、司教領や修道院の財産を没収してその財産を市の貧しい者たち、病人、孤児、寡婦などを保護する方法をとりました。個人の「慈善活動」という方法ではなくて公的な組織が保護するということにします。担い手としては独身者たちがおおくなりました。プロテスタントは、みな平均的な財産を持つ者たちです。多くの財産をもつものが貧しい者へという方向ではなくて、市民の間の対等な状況の中で相互扶助という考え方です。そこで「奉仕」(デアコニー)といいます。
 日本はどうでしょうか。いま、高齢者を施設に収容するという方向ではなくて「老いた樹は植え変えない」という言葉があるますが生活環境をかえずに地域でこの方たちを介護する方策を取り始めました。そのとき地域社会の中に「教会」があればそこは共同の居心地のよいところをつくるところになる可能性があります。
 教会が新たな働きをはじめて地域社会のニーズに応える働きが求められています。教会堂が、地域社会の人々が交わり、憩い、励まし、希望を生むところとなります。新たな働きです。


                                     雨貝行麿

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